本サイトでは、歩行や入浴、着替えといった日常動作に 介助が必要になったとき、できるだけ自宅で生活を 続けられるよう家庭内で支援することを「うち介護」と 呼んでいます。
うち介護の負担を減らす技術の紹介や、質問・相談のコミュニティ、介護にまつわる情報提供などの コンテンツを通し、日本の介護の未来を明るくして行こうという思いを込めて、本サイトを運営しています。
うち介護のつらくない続け方、賢いやり方の参考として。
同じ境遇の方と相談したり、悩みを共有する場として。
介護情報の集まるポータルサイトとして。
本サイトを通じて、介護に携わる方の負担が少しでも減ることを願っています。
義母の死と自分の死について
義母の介護をしてきましたが、先日逝去いたしました。晩年は「自宅で死を迎えれれるなんて幸せだ」と口癖のようにいったいましたので、私としても面倒を見てよかったなと思います。
これから私も年を取り、要介護になる可能性があります。義母の死に立ち会って自分としてはあまりまわりに迷惑をかけたくないと強く願うようになりました。
認知症になってしまったら、自分の判断ではどうしようもなくなるでしょう。
死に対してできる限り自分で選択したいと考えていますが、なかなか家族には相談できません。もし同じような考えの方がいらっしゃいましたら、ご意見をお聴かせください。
悩みなのは死というよりも介護の問題ではないでしょうか。周りの人に迷惑をかけない老後を過ごしたい、という思いではないでしょうか。日本人の平均寿命と健康寿命は約10年の隔たりがあります。つまり平均すると日本人は10年は誰かに介護されるということ。私はその差をできるだけ少なくしようと、バランスの良い食事を心がけたり、毎日運動したり、少しでも健康年齢を伸ばそうと頑張っています。「迷惑かけてたまるか。ぽっくり死んでやる!」そんな気持ちで生きています。
まずは義母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。肉親の死に直面するとどうしても考えてしまいますね。いわゆる尊厳死に関してのお悩みだとおもいます。
一つの選択として、認知症にならない健康なうちに、自分の意思をしっかりと示しておくことです。日本尊厳死協会の「リビング・ウィル」:という尊厳死の宣言書に署名する方法もあります。
ただし現在の法律上、すべてがその宣言書が優先されるというわけではありませんが。
tongari5481さんがおっしゃるように、認知症にならない、要介護にならない、そのために日々努力する。それが正しい選択だと思います。