本サイトでは、歩行や入浴、着替えといった日常動作に 介助が必要になったとき、できるだけ自宅で生活を 続けられるよう家庭内で支援することを「うち介護」と 呼んでいます。
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うち介護のつらくない続け方、賢いやり方の参考として。
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奥様を在宅看取り
ご近所の方が奥様を亡くされて、落ち込んでしまい、ほとんど引きこもり状態になって、どう声をかけたらいいのか悩んでいます。
奥様はまだ60代の方で、末期ガンと診断され、奥様もご主人も納得されて、在宅看取りのためご自宅で介護されていました。
「延命のための治療はしない。自然のままで死を迎えさせてあげたい」とご主人はおっしゃってました。
ご主人はクルマ椅子の奥様と良く散歩されて、ニコニコ明るく挨拶されてました。
お子様は結婚されてお孫さんも生まれて、よく見舞いに来られていました。
奥様のご病気以外はとても幸せそうでした。
先月突然奥様が亡くなられて、自宅でお葬式も出されて、気丈に喪主をお務めになられたのですが、そこまで頑張って、緊張の糸が切れたように、塞いでしまいました。
在宅看取りで末期ガンですから、最後が近いのもお分かりになっていたはずなのに、それだけ愛されていたのでしょうね。
一声かけてあげたいのですが、言葉が見つかりません。
令和4年7月21日11時31分、自宅で主人を看取りました。内臓疾患で2年ほどのベッド生活でしたが、余命半年と宣告されてからは看取りの準備を行いました。
準備といっても、思い出話をするだけです。学生時代のこと、初めてのデートのこと、結婚式のこと、子供が生まれたときのこと、旅行に行ったこと、喧嘩したこと、孫ができたときのこと、お互いたくさんたくさん話しました。幸せでした。
ただ最後に「愛しています」と伝えられなかったのだけが残念です。ちゃんと伝えなくては、今日伝えようか、どうしようかと悩んだ、次の日に息を引き取りました。
お葬式は家族とご近所の方、ごく親しい友人だけの質素なものでした。本当はお葬式は出さないことも考えたのですが、知り合いから「お葬式出した方が、悲しみを忘れられるよ」とアドバスされて決心しました。
お通夜、告別式、初七日、四十九日と過ぎるうちに、少しずつ元気を取り戻しました。仏教の儀式にはそういう意味があるのだと、先人の知恵に感心させられました。
「愛しているよ」彼もそう私に伝えたくて伝えられなかったのだと思います。恥ずかしがり屋でしたから。
ありがとうございます。すてきなお別れでしたね(言い方が失礼でしたらごめんなさい)。ちょっとうるっと来てしまいました。確かにお葬式には、悲しみを忘れさせる仕組みなのかもしれません。
在宅看取りをされた多くの方は、「もっとあの人は話したいことがあったのではないか。もっと時間をかけて聞いてあげれが良かった」「もっとあの人に伝えたいことがいっぱいあった。もっと話してあげれば良かった」と、後悔して悩むそうです。
時間が解決してくれるのが一番ですが、悲しみをわすれさせてあげられるようなこと、公園のゴミ拾いでもなんでもいいので、できるだけ誘ってあげてください。
グリーフ状態ですね。
グリーフとは、死別による深い心の苦しみのことです。
感情的な反応だけでなく、日常生活に支障をきたすこともあります。
いわゆるうつ状態になってしまうことです。
ひとりでじっと考え込んでいると、どんどん落ち込みがひどくなることもありますので、ご近所のみなさんでお祭りや運動会など地域のイベントに誘ってあげるのが気晴らしになっていいかもしれません。
すでに後期高齢者で、女房とも20年近く前に別れ、子どももいない我が身。在宅看取りなんて、夢のまた夢。
在宅看取りって、自分で自分を看取るしかない、ブラックジョークか。
私と違って、ふたりは愛に満ちた夫婦だったのでしょうね。
ご主人はそれはショックだったでしょう。愛の深さゆえ、ですね。
しばらくはそっとしておいてあげてもいいのでは?回覧板などを回す時にひとこと「元気出して」とか。
「すてきなお別れ」「幸せなお別れ」いい言葉ですね。妻を在宅看取りでくるかといえば、決心がつきかねる。そんな私には遠い存在の言葉です。