本サイトでは、歩行や入浴、着替えといった日常動作に 介助が必要になったとき、できるだけ自宅で生活を 続けられるよう家庭内で支援することを「うち介護」と 呼んでいます。
うち介護の負担を減らす技術の紹介や、質問・相談のコミュニティ、介護にまつわる情報提供などの コンテンツを通し、日本の介護の未来を明るくして行こうという思いを込めて、本サイトを運営しています。
うち介護のつらくない続け方、賢いやり方の参考として。
同じ境遇の方と相談したり、悩みを共有する場として。
介護情報の集まるポータルサイトとして。
本サイトを通じて、介護に携わる方の負担が少しでも減ることを願っています。
そういえばあれが認知症の始まりだったよね、って何?
父は認知症で在宅介護をしています。
認知症だと診断されてもう5年になりますが、今思い返すと、そういえばあれがはじまりだったのかな、みたいなことがありました。
ある日父がリビングに家族を集めて言いました。
「向かいの人たち、実はFBIのスパイなんだ。うちのことを狙っている。俺は知ってる」
「ハァ?」
「こら、大声を出すな。盗聴されてるんだぞ」
「何言ってんの?」
「この前は車のヘッドライトで盗撮された」
・・・家族あんぐり。
元々被害妄想的なところはあったけれど、あれが始まりでしたね。笑っちゃいますが。www
皆さんはどうですか。そんな思い出ありますか?
父は律儀な人間で、毎年年賀状を100枚近く出していたのですが、ある年本当に突然、漢字が書けなくなりました。全ての漢字ではなく、例えば言偏を書けない、とか特定の部首が書けなくなりました。
認知症のBPSDの一つだと思いますが。
私の父も同じでした。字が書けなくなりました。頭では理解しているのですが、実際に書こうとすると書けません。形が構成できない、組み立てができない、という感じでした。長く生きていればそういうことはよくある、と思っていたのですが、あれが始まりでしたね。
祝いの席なのに黒ネクタイで出かけようとして、数珠も持って・・・もう10年ほど前の出来事です。あれからですね、もしかしたらと思うようになったのは。
やはり物忘れですね。妹夫婦が帰省した時、母は義弟に向かって「母ちゃんは元気か?」と、何度も何度も聞くのです。「お母さんは亡くなられたよ」と言っても、何度も何度も・・・。
母は台風直撃の日に、突然雨具に着替えて、出かけてしまいました。追いかけていくと「田んぼの様子を見にいく」の言うのです。「危ないから」といっても聞かず・・・
あれが始まりでした。
シンプルですが、息子の私を忘れました。