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在宅介護とみとり
母の介護をしています。好きだった山歩きで滑落事故に遭い、その後遺症で寝たきりになりました。すでに10年になります。年齢は78歳です。症状もだんだんと悪化し、現在要介護4となっています。
私は常々疑問に思うのは、国は在宅介護をすすめているのに、「みとり」に関しては何も指針が出されていないことです。「みとり」すなわち「終末医療」です。
日本人の死生観に関係しているのかもしれませんが、「もう終末期なんだからみとりの準備に入ろう」という考えを口に出すことはあまりしません。
でも本当にそれでいいのでしょうか。たとえば病院では「症状を悪化させないようリハビリをしましょう」と指導されます。でも私は「いまさら・・・」と感じています。
「もうすぐ死を迎えますから、すこしでも穏やかな死のためのリハビリをしましょう」と言ってくれた方がずっと納得します。
介護する家族は、多くは介護に疲れきっています。心安らかな死へのステップは、家族にとっても幸せなことではないでしょうか。
「在宅介護」と「みとり(終末医療)」はふたつセットにして、国はしっかりとした指針をだすべきだと考えますが、皆さんはいかがでしょうか。医療制度も終末医療に対応しきれていない気がします。私の意見は異端でしょうか?
死と生に関わる問題です。厳しい選択が求められるでしょう。
医療の世界でも、終末医療に対する考え方は大きく変わりつつあります。
回復する可能性があるのか、それとも単なる延命措置か・・・。
ご本人やご家族の気持ちを察っして、適切な終末医療の対応をする。そんなお医者さまが増えているのは事実です。
病院で身体中の臓器に大量のチューブを入れられ、ただ生命を維持するだけのために栄養を送り込まれることを「スパゲティ症候群」というそうですね。
知り合いは父の介護でこの状態に怒りを感じ、「退院します」と啖呵を切って在宅介護にしたそう。
ただしその後、往診してくれるお医者さんを見つけるのに苦労したとか。
お気持ちはわかりますが、人の死に様まで国に指図されたくないというのが私の意見です。
私の祖父は随分前にガンで亡くなりましたが、当時はガン告知もされず、家族も本人に言わないようにとクギをさされました。祖父は薄々気づきながらも、お互い言えないままで亡くなりました。
あの悲しさに比べれば、いまは随分民主的になったと思います。
確かに。それぞれ家族の問題だということは、私も重々承知しているつもりです。
ただ、死に方についても自分や家族の中で話し合うのも大切だと考えます。
回答になっていませんが、知り合いの家族の話です。知り合いはお母さんの介護をしていますが、結構平気で「もうすぐ死ぬんだから、家族に迷惑かけないでね」「死ぬときは、ちゃんと死ぬんですよ」といいます。お母さんも「ああ、わかった」と答えています。すごくいい関係だな、と思いました。みとりというのとは違いますが。
知り合いのご主人が定年退職とほぼ同時期にガンで斃れました。入院した病院から「ご主人は末期ガンでもう助かりません。これからは自宅介護を行ってください」といわれ、退院したそうです。
半年ほどでご主人は無くなりましたが、時代は変わったのだな、と思いました。